2004年のつぶやき
2004年5月のつぶやき
自己責任とか、いろいろ考えた先月
同点で迎えた九回の裏、ツーアウトで打者は絶好調の四番。監督からのサインは「敬遠」。しかし、投手はそれを無視して勝負。結果、サヨナラホームランで、チームは負け。責任を問われた投手が「プロの投手として自信と誇りを持っているので、敬遠は『逃げ』なんです。僕は勝負がしたかった。また同じ場面で『敬遠』のサインが出たら? もちろん勝負しますよ」と言ってたら監督はそりゃ不愉快ですよね。小泉さん。
自己責任という言葉が、注目されています。「自分が判断してやったことには責任を持て」ということですね。
今回の人質事件をうけて、このように提案する人がいます。「今後、イラクに行く人は『私が拘束されて、人質になっても、犯人の要求には応じないでください、最悪の結果になってもその責任は自分が背負います』と文章を残していきなさい」と。
でも、そんな紙切れがあろうがなかろうが、国は、国民が外国で犯罪に巻き込まれたら救出に動かなきゃいけないのです。細心の注意を払っていた人であっても、準備不足のうかつものであっても。それが税金を取っている国の責任でありましょう。つらいよね、小泉さん。
今回の人質事件をうけて、このように提案する人がいます。「今後、イラクに行く人は『私が拘束されて、人質になっても、犯人の要求には応じないでください、最悪の結果になってもその責任は自分が背負います』と文章を残していきなさい」と。
でも、そんな紙切れがあろうがなかろうが、国は、国民が外国で犯罪に巻き込まれたら救出に動かなきゃいけないのです。細心の注意を払っていた人であっても、準備不足のうかつものであっても。それが税金を取っている国の責任でありましょう。つらいよね、小泉さん。
やりたいことをやりたいようにすればするほど責任は大きく重くなります。「信号は赤だが、俺は今すぐに渡りたいので、あえて行く」と交差点に突っ込んでいってはねられて「はねた車が悪い」とか言い出したら同情できないですよねえ、小泉さん。