2012年のつぶやき
2012年11月のつぶやき
○企業の原点に触れる
「そうだ、機関車なら、エンジンが動けば電気が使える」
2012年10月28日にNHKで放送された「明日へ」と言う番組で、三陸鉄道がとりあげられました。
東日本大震災直後は、電話も無線も使えず、電気も止まってしまいました。
岩手県の三陸鉄道本社は、走っていた汽車や、各駅の状況がまったく分からない状況になっていたのです。
そこで思いついたのが車両の電気を使う方法です。三陸鉄道の車両はディーゼル機関車だったので、そこを臨時の対策本部にしました。
岩手県の三陸鉄道本社は、走っていた汽車や、各駅の状況がまったく分からない状況になっていたのです。
そこで思いついたのが車両の電気を使う方法です。三陸鉄道の車両はディーゼル機関車だったので、そこを臨時の対策本部にしました。
三陸鉄道の社長は、震災の翌日には、線路や駅の状況を見てまわったそうです。「復旧は無理かもしれない」そんな思いもよぎりました。
線路の視察をしていると、震災の片づけをしている人に声をかけられました。
「鉄道は、どのくらいで再開できますか?」
視察を終えて本社に戻ったとき、社長は、すでに決めていました。
「一刻も早く列車を走らせる」
まずは、修復だけでなんとかなりそうな区間を重点的にやる。
従業員は、線路上の瓦礫をとりのぞき、ゆがんだ部分は直してゆきました。その結果、ほんの短い区間ですが、運行のめどがつきました。
しかし、電気は復旧していません。車両はエンジンで動いても信号機や踏み切りは動かないのです。
社員は総出で、各所の踏み切りに立ち、手動で上げ下げをしました。信号機も人が代わりにやりました。
そして震災から、9日後に運転を再開することができたのです。
線路の視察をしていると、震災の片づけをしている人に声をかけられました。
「鉄道は、どのくらいで再開できますか?」
視察を終えて本社に戻ったとき、社長は、すでに決めていました。
「一刻も早く列車を走らせる」
まずは、修復だけでなんとかなりそうな区間を重点的にやる。
従業員は、線路上の瓦礫をとりのぞき、ゆがんだ部分は直してゆきました。その結果、ほんの短い区間ですが、運行のめどがつきました。
しかし、電気は復旧していません。車両はエンジンで動いても信号機や踏み切りは動かないのです。
社員は総出で、各所の踏み切りに立ち、手動で上げ下げをしました。信号機も人が代わりにやりました。
そして震災から、9日後に運転を再開することができたのです。
最後に運転士の言葉を紹介します。
「列車が通ると、作業をしていた人が手を休めて、こちらに手を振ってくれるんです。そんなとき、この仕事をやっていてよかったな、と思えるんです」
「列車が通ると、作業をしていた人が手を休めて、こちらに手を振ってくれるんです。そんなとき、この仕事をやっていてよかったな、と思えるんです」
※録画はしていないので、発言等は記憶に頼っています。詳細部分については間違いがあるかもしれません。