2011年のつぶやき
2011年8月のつぶやき
○アナログ放送終了と新幹線事故
砂嵐に変わる瞬間を見るためにあえて地デジ化しなかった自室テレビの前に陣取って、時計とにらめっこ。
7月24日午後11時59分ごろ、「よし、そろそろだ」と思った瞬間、画面が0時を待たずに砂嵐。肩透かしをくらって、しみじみと寂しさにひたるのも忘れて「ええええ、なんで?」と画面に向かってつぶやきました。
カウントダウン、したかったのに。
7月24日午後11時59分ごろ、「よし、そろそろだ」と思った瞬間、画面が0時を待たずに砂嵐。肩透かしをくらって、しみじみと寂しさにひたるのも忘れて「ええええ、なんで?」と画面に向かってつぶやきました。
カウントダウン、したかったのに。
アナログ終了特番で、テレビが映し出してきたニュースを振り返るのをやっていました。
そこに映し出されたのが新幹線です。開業は昭和39年。私が生まれるよりもずっと前……いえ、ちょっと前に、あの丸っこい車体が走り始めました。テレビはまだまだ白黒の時代です。
そこに映し出されたのが新幹線です。開業は昭和39年。私が生まれるよりもずっと前……いえ、ちょっと前に、あの丸っこい車体が走り始めました。テレビはまだまだ白黒の時代です。
最初は短い区間で。だんだん距離を伸ばし、トラブルを乗り越え改良を重ねてきました。
あるときは爆弾を仕掛けられたり、怪獣に襲われ、宇宙人に破壊されたり、日本中が震撼しました(それは映画です)。
46年かけて、やっと今の形になったのです。
新幹線の信頼と安全は、その長い年月の積み重ねです。車体だけコピーしても、同じものはできないでしょう。
新幹線の信頼と安全は、その長い年月の積み重ねです。車体だけコピーしても、同じものはできないでしょう。
事故は起こります。そして人は事故に学びます。
中国の新幹線は、事故を起こしたことそのものより、その後、事故車両をパワーショベルで突き壊し、穴に捨て、しかもそれを堂々と人が見ている場でやったことに衝撃を受けました。
その事故はなぜ起きたのか、そして二度と起こさないためにどうすればいいか、それを考えなければいけません。でも、中国の新幹線はもう現場を走っています。
死者100人を越えたJR西日本の脱線事故のときは、運行再開まで、約2ヶ月かかっています。それでも、まだ早いと言われたほどです。
中国の新幹線は、事故を起こしたことそのものより、その後、事故車両をパワーショベルで突き壊し、穴に捨て、しかもそれを堂々と人が見ている場でやったことに衝撃を受けました。
その事故はなぜ起きたのか、そして二度と起こさないためにどうすればいいか、それを考えなければいけません。でも、中国の新幹線はもう現場を走っています。
死者100人を越えたJR西日本の脱線事故のときは、運行再開まで、約2ヶ月かかっています。それでも、まだ早いと言われたほどです。
人は事故から学びます。学ばなければいけません。
「ああいう対応は絶対にやってはいけない」
それだけはいえると思います。
「ああいう対応は絶対にやってはいけない」
それだけはいえると思います。