2010年のつぶやき
2010年9月のつぶやき
○敬老の日を迎えるにあたり
敬老の日は、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」として1966年に制定されました。
「私たちがこうして、ごく平凡に暮らしていけるのも、今のお年寄りが若いころ、大変な苦労をされて生きてきたから、なんですよね」
「高速道路や新幹線、山奥の大規模なダムとか、当時の技術で本当にすごいものをつくってきたし」
「本当に尊敬します」
「そうですよ、そうですよ。お年寄りはすごいです。私の親なんか、亡くなってもなお、年金を家に入れてくれますからね」
「高速道路や新幹線、山奥の大規模なダムとか、当時の技術で本当にすごいものをつくってきたし」
「本当に尊敬します」
「そうですよ、そうですよ。お年寄りはすごいです。私の親なんか、亡くなってもなお、年金を家に入れてくれますからね」
「え……」
それはいけませんよ。
みなさまの受信料で成り立ってます、の放送局が放送した番組が、この問題についてとりあげました。全国で所在が不明になっているお年寄りの中でも、一人暮らしではなく、家族と同居していることになっている人まで行方知れずという場合が多いことに焦点を当てていました。
キーワードは無縁社会。隣や近所に住んでいる人、いや家族ですら、つながりが薄くなってきている日本社会の問題点を指摘していました。
企業も、無縁ではやっていけないものだと思います。会社が、社員の仕事ぶりがどのようなものか把握できていなかったりするのは問題でしょう。逆に社員が、会社の状況を把握していない場合も、トラブルの元です。
とはいっても、状況の把握が「監視」のようになっては息苦しいものです。
会社からの連絡、社員からの報告、がスムーズに流れていくような仕組みづくりが課題でしょう。
とはいっても、状況の把握が「監視」のようになっては息苦しいものです。
会社からの連絡、社員からの報告、がスムーズに流れていくような仕組みづくりが課題でしょう。
日本の問題点、というのは、地域社会の問題でもあったり、会社の問題点でもあったり、家族の問題点であったりするものなのです。